出版とか書籍とかのこれから [本]
今年はAmazonのKindleやらiPadやらの登場で、電子書籍元年だの出版界に激震だのと大騒ぎ。
じゃあ、プリントメディアはどうなるの?ということを考えざるを得ないわけだが、そこでたまたま知ったのが、詩人・平出隆がおもしろい出版活動を始めたということ。「極小出版の実験」なのだという。
実は詩はよくわからないのだが、「ウィリアムブレイクのバット」というエッセイを読んでから、この平出隆という人の文章がとても好きになった。詩はわからないくせに、詩っぽいものへの憧れはあって、彼のエッセイは詩人のエッセイらしい感じで、テーマといい、文体といい、なにかとても詩的なものに満ちているような印象を受ける。また、平出隆のエッセイ本はとても装丁が凝っていて、紙やフォントも選び抜かれている感じで、持っていてとても幸せになれるところも気に入っている。
その平出隆が今度始めたのが、「本の最小にして最終の形態のひとつを作り出した画期的造本のシリーズ」の刊行。今月、第1弾が出たばかりなのだが、さっそく購入してみた。

こんなのが、ポストに届く。
帰宅してポストをのぞくと詩が届いている、ってなんかいいでしょ。
(まんなかの正方形のところには住所がタイプされていたのだが画像からは消してます)

とても繊細なエッチングふうの絵。

封緘はきれいにはがせるシール。
上等の封筒の体裁で、大きな手紙みたいな感じなのだが、ちゃんとISBNコードもついてる。
Amazonでも購入可能。

ひらくとこんなふうにテキストが現れる。
青っぽいグレーのインクの色と紙の色の相性が素敵。

中身、つまり「本」を取り出すと、こんな感じになっている。
綴じられてはいなくて、紙の折り目に切れ込みが入っていて、それが複雑に組み合わされてばらばらにならないようになっている。
繊細にみえるけれど、意外にしっかりしてる感じ。おもしろい。
表面がつるつるしていていて、裏はざらっとしていかにも繊維っぽい紙も、やさしい感じの明朝のフォントもきれい。
月に1冊ずつ、こんな感じのものを作っていく予定なのだそうだ。
自費出版ぽい、手づくりっぽいけれど、とても凝っているので洗練されている感じがするし、ちゃんとISBNコードはあるのでやっぱり本なのだなという感じがするところもいいし、それが郵便というシステムで届くところもおもしろいと思う。
電子書籍の本は、「情報」に還元されてしまうけれど、本のこういう物質的な側面も大切なわけで、実は内容とその物質的な部分とは不可分でもあると思う。
なにか工夫があって、所有することがうれしくなる本は、これからますます価値があがるのではないか。
ちょうどタイミングよく、書物とか出版とかについて考えさせられる展覧会が2つも開催中。
ひとつが、上野の西洋美術館のデューラー展。
デューラーの時代は、なんといっても手で描いた絵が芸術作品で、大量に印刷できるものは軽視されていたが、デューラーはより多くの人にメッセージを伝えることができるメディアとしての印刷技術の可能性に早くから眼を付けていた。
もうひとつが、竹橋の近代美術館でやっている鈴木清の写真展。
この人は生涯に8冊の写真集を、すべて自費出版で製作。たいへんな読書家、愛書家で、自分の写真集にも、書物としてかなりこだわりをもって取組んだという。
写真は、どう撮るか、どう焼くかに加えて、どう見せるか、も非常に重要なメディアだと思う。
彼にとっては、1枚1枚の写真よりも、1冊に編まれた写真集が、作品としての完成形だったのだろう。

なんと、写真展なのに文庫本くらいのサイズという大胆なカタログ(左)。
これには驚愕した。紐しおりまでついてる。
展示作品リストも、文庫本にはさまってる新刊書案内みたいな体裁に作られている(右)。
出版といえば、日本の展覧会カタログはいわゆる書籍扱いではないのだそうで、ISBNコードはない。
書店に並べることを考えていないために、いろんな判型のものが考え出され、ほとんど無法地帯だが、それがおもしろいといえばおもしろい。
保管が大変だけどね…
じゃあ、プリントメディアはどうなるの?ということを考えざるを得ないわけだが、そこでたまたま知ったのが、詩人・平出隆がおもしろい出版活動を始めたということ。「極小出版の実験」なのだという。
実は詩はよくわからないのだが、「ウィリアムブレイクのバット」というエッセイを読んでから、この平出隆という人の文章がとても好きになった。詩はわからないくせに、詩っぽいものへの憧れはあって、彼のエッセイは詩人のエッセイらしい感じで、テーマといい、文体といい、なにかとても詩的なものに満ちているような印象を受ける。また、平出隆のエッセイ本はとても装丁が凝っていて、紙やフォントも選び抜かれている感じで、持っていてとても幸せになれるところも気に入っている。
その平出隆が今度始めたのが、「本の最小にして最終の形態のひとつを作り出した画期的造本のシリーズ」の刊行。今月、第1弾が出たばかりなのだが、さっそく購入してみた。
こんなのが、ポストに届く。
帰宅してポストをのぞくと詩が届いている、ってなんかいいでしょ。
(まんなかの正方形のところには住所がタイプされていたのだが画像からは消してます)
とても繊細なエッチングふうの絵。
封緘はきれいにはがせるシール。
上等の封筒の体裁で、大きな手紙みたいな感じなのだが、ちゃんとISBNコードもついてる。
Amazonでも購入可能。
ひらくとこんなふうにテキストが現れる。
青っぽいグレーのインクの色と紙の色の相性が素敵。
中身、つまり「本」を取り出すと、こんな感じになっている。
綴じられてはいなくて、紙の折り目に切れ込みが入っていて、それが複雑に組み合わされてばらばらにならないようになっている。
繊細にみえるけれど、意外にしっかりしてる感じ。おもしろい。
表面がつるつるしていていて、裏はざらっとしていかにも繊維っぽい紙も、やさしい感じの明朝のフォントもきれい。
月に1冊ずつ、こんな感じのものを作っていく予定なのだそうだ。
自費出版ぽい、手づくりっぽいけれど、とても凝っているので洗練されている感じがするし、ちゃんとISBNコードはあるのでやっぱり本なのだなという感じがするところもいいし、それが郵便というシステムで届くところもおもしろいと思う。
電子書籍の本は、「情報」に還元されてしまうけれど、本のこういう物質的な側面も大切なわけで、実は内容とその物質的な部分とは不可分でもあると思う。
なにか工夫があって、所有することがうれしくなる本は、これからますます価値があがるのではないか。
ちょうどタイミングよく、書物とか出版とかについて考えさせられる展覧会が2つも開催中。
ひとつが、上野の西洋美術館のデューラー展。
デューラーの時代は、なんといっても手で描いた絵が芸術作品で、大量に印刷できるものは軽視されていたが、デューラーはより多くの人にメッセージを伝えることができるメディアとしての印刷技術の可能性に早くから眼を付けていた。
もうひとつが、竹橋の近代美術館でやっている鈴木清の写真展。
この人は生涯に8冊の写真集を、すべて自費出版で製作。たいへんな読書家、愛書家で、自分の写真集にも、書物としてかなりこだわりをもって取組んだという。
写真は、どう撮るか、どう焼くかに加えて、どう見せるか、も非常に重要なメディアだと思う。
彼にとっては、1枚1枚の写真よりも、1冊に編まれた写真集が、作品としての完成形だったのだろう。
なんと、写真展なのに文庫本くらいのサイズという大胆なカタログ(左)。
これには驚愕した。紐しおりまでついてる。
展示作品リストも、文庫本にはさまってる新刊書案内みたいな体裁に作られている(右)。
出版といえば、日本の展覧会カタログはいわゆる書籍扱いではないのだそうで、ISBNコードはない。
書店に並べることを考えていないために、いろんな判型のものが考え出され、ほとんど無法地帯だが、それがおもしろいといえばおもしろい。
保管が大変だけどね…
2010-10-28 22:13
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